ネットを「製造」する企業から、
ネットワークを「創造」する企業へ平田漁網商店として、創業。1868年(慶応4年)
桑名藩領出身で海運業者を営んでいた平田佐次郎は魚介類の豊富な伊勢湾で漁業が盛んであった富洲原地区の漁具の需要を当て込み、漁網の製造と販売を行う「平田漁網商店」を1868年(慶応4年)に創業した。これがUNIVA・Oakホールディングスの前身となる。
日本最大の漁網会社、平田紡績へと成長
その後、「平田漁網商店」は綿花などを原料とした紡績事業を営む総合繊維会社へと発展する。工業化の時代を迎える20世紀初頭にはドイツのイッツエホニー式やフランスのボナミー式といった蛙股編編機を導入したことで漁網の大量生産を開始。 製品は日本のみならず、ロシア・オーストラリア・カナダ・フィリピン・デンマークといった海外へも輸出するようになり、第二次大戦期の頃には日本最大の生産高を誇る漁網メーカー「平田紡績」へと成長を遂げた。そして、1949年に東京証券取引所及び大阪証券取引所並びに名古屋証券取引上に上場を果たす。
繊維業・紡績業から、新たな事業へと進出
創業を100年超える頃になると、平田紡績は国内のみならずアフリカのケニアなど海外にも生産拠点を置き、漁網を生産・販売する繊維業の総合企業となった。そんな中、日本における漁業の低迷などもあり、新しい事業に次々と参入。不動産業・食品事業・パン製造販売業・コーヒー製造販売業・投資事業などを営むようになる。 1987年(昭和62年)には三重県四日市市から東京都中央区築地に本社を移転。社名も「ヒラボウ」に変更する。
投資銀行事業へ本格参入
2001年投資事業に参入し、上場企業向け財務支援、事業再生支援などを開始した。常に時代の潮流変化に伴いイノベーションを継続し、上場企業投資、企業買収、IPO投資、戦略アドバイザリーなど数多く実施した。2005年本社を東京都港区赤坂に移転、投資銀行事業として、企業買収・上場企業へ出資、IPO投資など展開を加速。2006年には社名を「Oakキャピタル株式会社」に改称し、独立系投資銀行として本格的に上場企業のエクイティファイナンス引受等による資金調達のサポートや、企業の成長戦略に伴うM&Aなど事業戦略の支援や助言を行い、商業銀行が出来ないリスク投資を行った。2022年東京証券取引所市場第二部から新市場区分「スタンダード市場」へ移行。
UNIVA・Oakホールディングスの誕生
2021年6月に、投資銀行業から「価値共創事業」へと転換。安定収益を生みながらグループとして成長できる体制に向けた経営体制に移行。さらに「Unite the Values」という理念に共鳴し、2023年10月に、社名をUNIVA・Oakホールディングスとする。
グループ内の事業会社の連携を積極的に推進し、事業会社が持つ価値を統合(=UNITE)し成長させていく連邦制グループ企業を追求している。